駅までは10分以内位の場所まで戻って。
往路で気になっていた
「トロッコで炭鉱へ入る」というのを やってみたかったです。
ポンコツなパトカーが停まっているなあ と思ったら 廃車されてナンバーなし。
そこの階段の上に 交番がありました。
駐車場の番人も トロッコのこと通じなかったし、
聞く人もいなかったので 交番へ。
ちょっとだけ英語が通じました。
どうやら遠いようです。
何度も 「歩きで?」
と 聞きなおされて なかなか教えてくれません。
「距離とか教えてもらえば 行くかどうか考えるから」
と言うと、
地図で教えてくれるのでなく、交番から出てきて
「駅方向へ少し行ってから、左手へ」
とのこと。
結局 どの位離れているかは わからず仕舞い。
その交差点を確認しながらも、
歩いていく気にはならず、とぼとぼと駅の方へ。
かと言って タクシーでぼられるのも否です。
実は、ひとつ秘策がありました。
これです!
往路の時に 気になっていた 電動バイク。
値段が書かれていないのですが。
ただ 「免許不要! ヘルメット不要! 滝まで5分」
と書かれているのです。
ガイドブックの写真を示して
「トロッコのところへ行きたい」
と言っても通じません。
滝まではすぐだから と ばかり。
値段を聞くと、1時間200ドル。
800円ならOKだ。
親父さん しきりに 「滝までの方向」を しゃべる。
奥から少し若い女性が出てきて、ほんのわずか英語が通じて、
「ああ 滝じゃないのね」 がわかってくれて、
契約書を出してくる。
1枚のコピーされた用紙の内容を読んで サインを。
英語と中国語で ごく基本的なことが書かれています。
サインをして、住所かパスポートか?
と 聞こうとすると、
「ああ、これでOK!」
えっ? OK OK!
日本人の信用の高さは すごいです。
一台の電動バイクを用意すると、
おじさんは もう1台のバイクにまたがり、警笛を鳴らしながら 先導してくれます。
分かれ道から一人旅。
走り出すと
何か言ってるみたいだったけど わからずに走り出す。
少しして、
後ろから来たタクシーが 警笛を鳴らす。
むむ?
狭い道だが 十分追い越す幅は残ってるのに??
あっ、左側通行は ダメだよ でした。
道は くねくねと曲がりながら ずっと上り坂です。
歩きや 自転車だったら つらい道です。
すれ違いもなく、広いバイパス通りの三叉路に ぶつかります。
信号赤の間に地図を見て、
大体左手か と確認して 左手へ。
右側通行の左側なので 向かい側の車線です。
信号があるので、ちゃんと左側へ行きました。
片側二車線に 路肩付で走りやすいです。
右手に 廃墟みたいのがあって なんとか文化園?
通り過ぎてから思い出しました。
そう言えばそんな名前だったような。
路肩を バイクを押しながら戻ろうとすると、
走行する車から またも警笛。
交通マナーは しっかりしているんですね。
廃墟具合は 写真撮っていませんでした。
でも トロッコ乗り場に 誰も いません。
て言うか、
本日営業してるのかしら?
もう廃業してしまったのかしら?
声を出しても 人は出てきません。
はて?
線路の上を 少し奥まで無断侵入。
入っていいのか おそるおそる。
その先に
またしても 切符売り場が。
切符売り場に声をかけようとしたら、男性が 現れました。
「私は 日本人です!」
??
ボクが 言ったのではなく、相手が唐突に。
ちょっと片言です。
日本人にしては 言葉が変です。2世かしら?
入場料は 100ドルくらいだったかな?
入場するか聞いてきて
お金を払うと、奥へ案内してくれます。
広場です。
この辺一体が 日本統治時代の炭鉱のようです。
ボクは 内心小躍りしながら 男性の後を 歩きます。
説明が ちょっと変です。
日本語が少し通じません。
ヘルメットと、それに取り付けるバッテリーです。
戦前の時代にも こんなのあったのですね。
掘削機の先っぽ。
模擬炭鉱へ 入りました。
あれれ、トロッコは?
いい石炭と悪い石炭の展示。
このうち4種類?くらいが ここで採れたとか。(うろ覚え)
これは 中国本土の露天掘り炭鉱の写真です。
台湾のは、日本が技術を加えましたが、手掘りです。
それに対して、中国は 露天掘りです。
かなうわけもなく、昭和30年くらいに 廃坑になったそうです。
先ほどから気になっていたのは
2人のライダーたちも 見学に来ていたのですが、、、。
彼は ボクに付きっ切りで、
おばちゃんが案内するのかと思いきや、彼らには 案内もしません。
トロッコは? ?
彼は、時々説明に困って、
スマホの翻訳サイトで 説明してくれます。
続く
0 件のコメント:
コメントを投稿